HELM MAGAZINE
INTRODUCTION
サーキットの兄弟として駆け巡る。平木湧也・玲次がはじめてハンドルを握った日
プレーイングマネージャー、つまり選手兼監督というのはスポーツ界では時折耳にするが、モータースポーツの世界では極めて珍しいことだ。しかし、レーシングドライバーの平木湧也と玲次が、2020年に立ち上げたHELM MOTORSPORTSは、なんと経営・監督・選手という3つの役割を同時に切り回す前代未聞のレーシングチーム。設立初年度から、驚くべき快進撃でモータースポーツ界に新しい風を吹き込んでいる。
幼少期:レーシングカートでバトルを繰り広げる3歳と4歳児
茨城県水戸市に生まれた2人。初めてハンドルを握ったのは、兄・湧也4歳、弟・玲次3歳のときだったそう。地元のカートコースに両親と遊びに訪れると、レースに目をキラキラさせ、乗りたいと一言。このとき弟の玲次は、三輪車にも乗ったことがなかった。しかし、ひとたびハンドルを握ると、見事にマシンをコントロールし、バトルを繰り広げたというのだから驚きだ。2人に光るものを感じた両親は、兄弟のためにレーシングカートを購入。気がつけばマイクロバスまで購入して、サーカス一座の如く全国遠征の旅に出かけるようになった。兄の湧也は「食べる時もくつろぐ時も、どうやって勝つか、どうやって上手になるかに関する話題しか記憶にない」と言うし、弟の玲次は「家族が一つになって勝負に挑んだ幸せな日々だった」と振り返る。やがてふたりは、カートレース最高峰「全日本カート選手権」などの舞台で活躍。16歳で国内A級ライセンスを獲得するとまもなく、フォーミュラカーの世界に活躍の舞台を移す。
青年期:フォーミュラカーに参戦。そして、HELM MOTORSPORTS設立
フォーミュラカーの世界で平木兄弟は、鮮烈なデビューを飾る。まず、2014年に参入した兄・湧也が、F4選手権西日本チャンピオンに輝くと、翌2015年に参入した弟・玲次がSuper-FJ鈴鹿選手権に参戦しシリーズチャンピオンに輝く。兄弟はそれぞれ性格も走り方も全く違うが、兄弟喧嘩をしたことがないと言うほど仲が良い。だから、ふたりは同じチームで切磋琢磨しながら成長することを望んでいたし、お互いが自分にとって最高のコーチだと感じている。まさに一心同体といったところだ。しかし、ワークスやプライベーターチームに所属しても、ふたりにとって理想のチームは作れない。「いつか、自分たちの理想のチームが欲しい。戦略を練り励まし合った子どもの頃のように、互いの強みを最大限に活かしたい」という気持ちは、日増しに強くなっていく。また、プロとして成長すればするほど「自分たちを育ててくれたモータースポーツと社会に恩返しをしたい」という感情も高まっていった。やがて、そんな熱い想いを聞いた人たちの支援の輪が広がっていく。そして、2020年2月。名字 “HIRAKI” の頭文字「H」を冠した新しいチームがスタートした。それが、“HELM MOTORSPORTS” である。
草創期:3役兼任のプレーイングマネージャーとして、衝撃的な
デビュー
「現役レーサーがチームを設立運営するのは無理だ。若すぎる」。設立当初は、そんな声も多かったというが、無理もない。モータースポーツの世界では、自動車メーカーや元有名レーサーがチームを運営するのが一般的。なのにHELM MOTORSPORTSは、まだ無名ともいえる若手レーサーが、運営・監督・選手のすべてを兼任するというのだから、常識という枠にはめて考えれば無理に見えるのも仕方がない。しかし、ふたりには、確信があった。プレーイングマネージャーのスタイルであれば、兄弟ならではのユニークな編成も可能。弟がマシンに乗っている時、兄は司令塔に。その逆もと変幻自在なのだ。幼い頃から兄弟でレースの世界を勝ち抜いて来たからこそできるオンリーワンの戦術。ここから、怒涛の戦歴が始まる。まず、デビュー戦でセンセーショナルな結果を残す。チーム初参戦となった2020年FIA-F4の開幕戦で、弟の玲次がいきなりの優勝。続く2021年からは史上初の兄弟・最年少コンビとしてSUPER GTにふたりで参戦。さらに、スーパー耐久シリーズでは富士24時間レースでST-3クラスにも参戦し、初出場初優勝を決める。2022年にはST-Xクラスへ昇格。富士24時間レースでクラス横断の2冠に輝くと最終戦でシリーズ王座が確定した。
今回は、サーキットの兄弟 平木湧也と玲次が、現在に至るまでどのようにレースの世界を駆け抜けてきたのか、幼少期にまで遡ってお届けした。チーム設立後の活躍は、別の記事で今後さらに詳しく紹介していきたいと思う。